2013年5月9日木曜日

皮袋を変えても中身は同じ


先のエントリーで、新しいメディアサイト「ハフィントンポスト」が、旧態依然としたメディアと同じに見えてがっかりしたと書きましたが、それは掲載されている記事の見出しを並べるだけで分かって貰えるのではないでしょうか。

例えば、5月8日の夜時点で掲載されていた、「政治」カテゴリーの見出しを並べてみます。

・アベノミクス、賃金より先に物価が上がる可能性が高い
アベノミクス効果、いつなの?
日本人が、声を上げ始めた
育休3年=在宅勤務3年という意味か?
国境を越える大気汚染、ぎくしゃく日中韓で防げるか
「みんな、民主主義に飢えている」
「育休 3年」って誰のため? 安倍首相の子育て支援策に批判噴出
96条改正、ハードルをめぐる各党の攻防
TPP、日本の参加はたった3日?
日銀 金融緩和は数字のマジックか?
アベノミクスが実感できない理由
サウジへの原発輸出がUAEへの輸出と異なる点とは


ネガティブです…。
疑いと否定、まるで問題ばかりと印象づけられます。
ただし、二本の記事を除いてです。

二本の記事とは、「日本人が、声を上げ始めた」と「みんな、民主主義に飢えている」で、個人や市民運動的な政治参加を取り上げたものです。つまり、政府や行政が絡む事は全てネガティブな見出しで、個人や市民運動はポジティブな見出しと、露骨なほどはっきりと分かれているのです。

これを、既視感無しに見ることは出来ませんでした。まるで朝日新聞と毎日新聞を足して二で割ったような印象です。米国で成功した新しいメディアサイトが日本でも…という賑やかな紹介に、ちょっと期待していたのですが、この既視感にがっかりしました。



なぜ、こんな事になってしまうのでしょう?

国や政府のやる事は全て疑いと批判の目で捉えてネガティブに書き、市民と名が付けば無条件に持ち上げる…。テレビ・新聞・雑誌などのメディアは、なぜいつも同じなのでしょう。媒体が紙からネットに変わっても、双方向性を謳っても、なぜメディアは同じにしか見えないのでしょう?

たぶんそれは、中の人たちが目的と手段を間違えているからだと思います。

よくメディアの重要な役割として、権力の監視ということが言われます。確かに大事な役割ですが、それは手段に過ぎなくて目的ではありません。目的はあくまで、自分たちの社会を良くすることでしょう。そうならば、いくら国や政府のやる事だからと言って、何でもかんでもネガティブに書いてしまうのは本末転倒だと思います。

国や政府のする事を、最終的に判断するには国民です。しかし、その為の判断材料を国民一人一人が集め、整理するなんて出来ません。仕事も日々の生活もあるのですから、そうしたことに割ける時間は、決して多く無いからです。

それを代行し、より良い判断が出来る材料を提供してくれる事こそ、私がメディアに望んでいるものです。多くの人も、そうではないでしょうか。ところが、国や政府のする事なら、無理やりにでも全てネガティブな記事にする…これがメディアの慣習のようになっています。そして、新しいメディアと銘打っても容れ物と飾りが違うだけで、中身はやっぱりが同じという事になってしまっています。これでは、判断材料として役に立ちません。



では、新しいメディアという言葉に期待したものは何だったのか、どんな姿勢のメディアを望んでいたのか、それを具体的な記事を例に取りながら、また書いて行きたいと思います。




1 件のコメント:

  1. ホント、ネガティブなタイトル多いよね~。
    これじゃ読む気が起きない。^^;

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